一生成仏抄浄名経の中には 諸仏の解脱を衆生の心行に求めば衆生即菩提なり衆生即涅槃なりと明せり、 又、衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて 浄土と云い穢土と云うも土に二つの隔てなし 只、我等が心の善悪によると見えたり、 衆生と云うも、仏と云うも亦此くの如し 迷う時は衆生と名づけ悟る時をば仏と名づけたり、 譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、 只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり 是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、 深く信心を発して日夜朝暮に又おこたらず磨くべし、 何様にしてか磨くべき、 只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり <通 解> 浄名経の中では、 「諸仏の悟りは衆生の心の働きに求めるべきである。 衆生を離れて菩提はなく、衆生の苦しみを離れて涅槃はない」 と明かしている。 また、浄名経には 「人々の心がけがれれば、その人々が住む国土もけがれ、 人々の心が清ければ、国土も清い」とある。 すなわち、浄土といっても穢土といっても、二つの別々の国土があるわけではなく、只そこに住む私達の心の善悪によって違いが現れると説かれているのである。 衆生といっても、仏といっても、又、これと同じである。 迷っているときには衆生と名づけ、悟ったときには仏と名づけるのである。 たとえば、曇っている鏡も磨いたならば、輝く玉のように見えるようなものである。 今の私達の一念が、無明におおわれて迷いの心であるときは磨いていない鏡であり、 これを磨けば必ず法性真如の明鏡となるのである。 強く信心を起こして、日夜朝暮に怠ることなく磨いていきなさい。 では、どのようにして磨くのか、 ただ、南無妙法蓮華経と唱えること、 これが磨くということである。 いかがでしたか?? 迷い猫の仏教講義?(⌒▽⌒)アハハ 楽しんでいただけましたか~♪ 人は、楽しむために生まれてきたのです。 苦楽ともに思い合わせて この人生を素晴らしいものに織り上げていきましょうね~ |